13世紀の末ここ蘇州を訪れたマルコポーロは、東方見聞録のなかで、 東洋のヴェニスと称えた。

1000年運河は今も使用されており、「蘇湖熟すれば天下足る」、「南船北馬」という言葉が残っている。
「蘇湖熟すれば天下足る」⇒古の時代より、交通手段のみならず、生活用水として利用されてきた。運搬物は穀物や絹製品から現在は建築資材へと変遷している。  「南船北馬」⇒南の地は船で移動し、北の地は馬で移動する。

寒山寺について知ったこと⇒唐、9世紀初、僧・寒山が庵を始めた。その後、伽藍が建てられ寒山寺となった。建物の壁は黄色で彩られており、黄土のイメージを表している。古の時より何度も火災にあってきたが、その度に、立て直されてきた。現在のかたちは、清代末期に建てられた。鐘は16世紀に日本へ渡ってしまったが、現在の鐘は日本人の有志が送ったもの。
                             獅子林 退思園 寒山寺   「楓橋夜泊」
月落烏啼霜満天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘声到客船
唐・詩人・張継
古の時より蘇州の人々にとって、蘇州に庭園を造ることは地位の象徴であった。庭園には太湖でとれる石灰石が多く含まれる太湖石がふんだんに使われている。