タイヤル族との出会いで知ったこと⇒台北の東南約28`にある温泉町、烏来{ウーライ}を訪ねた時のこと。烏来までの行き方は、台北駅を起点とするとバスで烏来行きに乗車するか又はMRT新店線を利用して新店駅に向かいそこから烏来行きのバスに乗車して行く方法があります。烏来のバス停留所を降りると、南勢渓が青緑色の水をたたえ、とうとうと流れている様が目に入る。

烏来風景区入り口を通り越し、川上へ道なりに上がって行くと、温泉をひいた小規模な旅館が連なっている。旅館街を過ぎると、いよいよ山の左側斜面に烏来瀑布が荘厳に唸り、又その瀑布をまたぐようにロープウェ−がのびているパノラマがあらわれる。
                              日が暮れ始めたので新店駅までタクシーで戻ることにした。ロープウェ−発着場にいたタクシードライバー数人に声を掛け、いざ値段の交渉を始めると、日本語が飛び交ってのやりとりとなり拍子抜けをした。年齢は30〜40代であろうか、日焼けしたような肌の色、目鼻立ちが大きく、みな小柄だががっちりとした体格は、明らかに、清時代以降中国大陸から渡って来られた漢民族の方々とは違う民族である。
乗車すると、話好きなドライバーであることが分かり、私の好奇心を掻き立ててくれました。彼は自らを原住民族・タイヤル族と称した。元来、原住民族は、険しい山岳地帯を中心に暮らしていたが、16世紀を迎えて後のスペインやオランダからの統治、17世紀後半以降増えた漢民族の勢力、太平洋戦争における日本の統治の影響を受け、つまり幾多の統治によって、タイヤル族の生活慣習が変遷していったようだ。

現在はタイヤル族の大部分の方々が、一般の台湾人と同じような生活慣習の中で暮らしている。彼はタイヤル語、日本語、台湾語、北京語、英語を操れるようで、タイヤル語と日本語は両親から教わり、台湾語、北京語そして英語は学校で学んだそうです。私との会話は日本語、北京語、英語を駆使して行われた。

ここで関心を持った話題を2つ記したいと思います。1つは、太平洋戦争時、フィリピン、ニューギニア前線で山岳戦を予想した日本軍は「皇軍兵士」としてタイヤル族を始めとする山岳地帯に暮らす他の原住民族を戦地へ送り出したという話。1945年太平洋戦争が終わるまで台湾は50余年にわたって日本に統治されていたという事実は、学生の時に学んでいたが、日本軍と共に戦地に赴き、天皇のために戦ったということは知らないことであった。学校の教科書を通して知ったのではなく、タイヤル族の方よりこの話を聞かされたことにショックを覚えた。日本の教育現場における歴史学習指導のあり方に提案したい。近現代史から始めよと。我々はその歴史に最も近い位置に過ごしているわけだから。

もう1つは、タイヤル語には今でも日本語が多く使用されているという話。日本統治時代タイヤル族の生活慣習の中になかった物や概念が外来語として使用され現在に至っているということ。例えば、バケツ・スリッパ・ベッド・パンツ・シャツ・はしら・とけい・でんき・あぶら・めがね・はだし・はんライス・せびろ・くつした等が挙げられるそうだ。タイヤル族のドライバー様、いろいろ教えてくれて、ハファイス・バライ!

                               
 旧星及湯でのひと時

新北投温泉は、日本統治時代に日本人が建設した温泉郷で、日本からの台湾旅行全盛期には日本人がどっと押し寄せ、「男性天国」と呼ばれていた時期もあったらしい。ここへの行き方は、台北駅からですとMRT淡水線を利用して新北投駅で下車。所要時間は凡そ40分。駅を下車して新北投公園を目指して歩くと、近代的な温泉ホテル群が建ち並んでいる。公園を過ぎる処くらいから湯煙があちらこちらに立ち上っているのが見えてくる。道路脇の溝には、温泉が流れており足湯を楽しんでいる旅行客が多数いる。時は12月でしたが、アイスキャンデー売りの屋台が出ている光景には亜熱帯性気候ならではなのだと実感した。

私が望んだ入浴場所は時間もないことから@日本人が建てた温泉宿、A立ち寄り入浴も可能な温泉宿であった。ガイドブック片手に尋ね回った結果、旧星乃湯(現・逸託邨大飯店)が該当した。入浴料は1時間300元と言われた。宿内中庭の日本庭園には池があり錦鯉が泳いでいる。大風呂は男女別になっており、想像通り水着や下着は身に着けず裸で入浴する。泉質は白濁したラジウム泉で、湯温は40度〜42度の源泉かけ流し。日式建築の宿内にある古びた温泉にドップリ浸かりながら、かつて日本人がどっと押し寄せた全盛期から90余年という歳月を経て今日に至っているという永劫に、思いを馳せないではいられなかった。
数年後、仕事で台北出張時に念願であった旧星及湯に宿泊することができました。1泊3700元〜。